秋分を過ぎてもなお、汗ばむ暑い日が続くな・・・と思っていたのに、数日しとしとと雨が降る日が訪れて、その雨は急に秋を呼び寄せた。
少しひんやりとした空気の中にはオスマンサスの香りが甘く漂っている。
講義終わりにばったり顔を合わせた牧野は、衣替えが間に合っていないのか、お気に入りだと言って夏の盛りに愛用していた半袖のブラウスの上に薄いカーディガン、更にその上に薄手のパーカーを羽織っていた。
「あたし、今日バイトないんだー!」
と清々しい笑顔で言うから、
「それならウチに遊びに来るか?
それとも何処かに出掛けるか?」
と提案してみた。
「んー、何したいかなぁ・・・
えーっとねぇ・・・、ちょっと散歩して、映画観て、ご飯!」
という3本立ての希望を出してくる。
いつも大学の授業とバイトばかりで予定が詰まっている牧野。
偶の自由時間を満喫したいのだろうと、その希望を叶える事にした。
テイクアウトしたホットのカフェラテを手にしながら広い公園を通り抜ける。
ちょっと飛び跳ねるみたいに軽やかに歩いていく牧野を追いかけた。
行き交う散歩中の犬に顔を綻ばせ、遠くで誰かがかき鳴らしている下手なギターに合わせて鼻歌を歌う。
それを見聞きしているだけで俺の頬は弛んでいった。
映画は牧野が選んだ、主人公が過去へとタイムスリップしてしまうドタバタコメディ。
俺の好みではないから、特に期待していなかったのに、観始めたらその世界に引き込まれ、2時間の上映時間はちっとも長く感じなかった。
映画館を出るとすっかり日は暮れていたが、代わりに街の灯りがこれでもかと言わんばかりに煌めいている。
まるで光の洪水だ。
夜の街の空気は思いの外冷えていて、薄着の牧野を歩かせるのを躊躇って、近くにある俺の知っている店で食事をする事にした。
「今日の映画、面白かったねー!」
テーブルの向こう側で、牧野は機嫌良さそうに顔を綻ばせてる。
料理が運ばれてくる合間に、各々映画の感想を言い合った。
「もしあの映画の主人公のように過去に戻れるとしたら、牧野ならいつの時代に戻る?」
そう聞いたら牧野はきょとんとした表情を浮かべた。
ぱちりぱちりと瞬きをし、小首を傾げて、暫し遠くを見詰めるように思案して。
「あたし、戻らない。
どの時間にも戻らないなぁ。」
と答え、ふふふっと小さな声を上げて笑った。
「今がいい。
こうしていられる今がいいの。」
「そうなのか?」
「うん。」
「ちっちゃな子供の頃とか、戻ってみたくないか?」
牧野はゆらゆらと首を横に振る。
「ううん。
それはアルバムの写真を見て懐かしむだけでいいな。
じゃあ美作さんは?
美作さんならいつに戻りたい?
4人でわちゃわちゃしてた子供時代?
中等部? それとも高等部時代?
でもさぁ、ずっと4人一緒だったんでしょ?
いつに戻っても同じ顔触れだねえ。」
俺の過去を想像しつつ楽しそうにクスクス笑って、デザートのモンブランにフォークを入れている牧野。
その『4人』の中に司が含まれている事は、牧野を切なくさせないのだろうか?と勝手に気を揉んでしまう。
「俺も今がいい。
戻りたい時間なんかないな。」
「ほーらね。
タイムマシンなんてあっても、案外使わないものなんだよ、きっと。
あれは映画の中の出来事だからさ。
未来が分かりすぎるのも怖いから、見に行きたくないし。
だってどうする?
未来に行ってみて地球が滅亡してたら?
怖いじゃない、そんなの!」
「・・・うん、そうかもな。」
そう呟いて、俺は牧野にそっと笑い掛けた。
でも胸の内には言葉には出来ない思いが湧き上がっている。
なあ、今言った事は本当なのか?
本当に戻りたいとは思わないか?
司が刺された、あの時より前に。
あの悲劇を回避出来たなら、牧野の運命は大きく変わっていた筈だ。
司は牧野を忘れる事なく、2人は今も想い合って、共に過ごしていられたかもしれない。
そうしたら俺はそんな2人を見守っていたんだろうな。
そう思ったらつい身震いしてしまった。
そんな『ifの世界』を想像する事に恐怖を覚えたから。
俺はもう、司と牧野を見守る立場には戻りたくないんだ。
司が記憶を取り戻すことを望んでいない。
牧野を秘かに想いつつ、友として手を差し伸べられるこの距離を護りたい。
いや、できる事ならば、この想いの丈を伝えて、俺だけをその瞳に映して欲しいと望んでる。
俺の気持ちになんて全く気付かない牧野は、幸せそうに紅茶とモンブランを堪能している。
今ここにタイムマシンが無いから・・・
考えても仕方ないから・・・
諦めているのかもしれないな。
本当に目の前にあったとしたら・・・
牧野はそれに飛び乗って、あの時の司を救いに行くのだろう。
想像の中だけの『ifの世界』は、起こり得ない事なのに俺を途轍もなく切なくさせた。
迎えの車を呼び寄せ、牧野を部屋へと送り届け、1人になったリアシートに身体を沈めたら、口からは大きな溜息が吐き出されていく。
片想いって・・・、こういう事か。
今までこんな思いをした事がなかった。
こんなに胸が苦しかったり、切ない気持ちに苛まれた事がない。
山程に恋愛をしてきたつもりでいたけれど、今胸を占めているこの想いを恋と呼ぶのなら、これまでの出会いと別れの数々は、恋愛にすらなっていない、それ以前の感情だったらしい。
俺は初めて本当に人を好きになった。
それは記憶を失くした男をずっと想っている人だった。
_________
ご無沙汰しております。
hortensiaです。
生きてます。
生きてはおりますが、スランプのドツボに嵌って苦しんでおります(~_~;)
色んなお話の続きを待って下さっているんだろうに、全然違うSSをUPしちゃう事をお許し下さいー。
何とかこれを書き終えられた気がするので、久々に戻って参りました。
他のお話は・・・気長にお待ち頂ければ有り難いです、はい。
スタバでコーヒー買って代々木公園をお散歩、坂を降りてきて渋谷で映画。
お食事はセルリアンタワーのフレンチで。
そんなデートコースを頭の中で歩きつつ書いてみました。
昔渋谷で働いていたので、自分の庭気分でイメージしましたが、多分その時からは物凄ーく変わっているのだろうと思います。
渋谷って、いつでも人の波が引かない街で。
不思議なところだなぁと思いながら毎日通ってました。
文化村通りを上がっていったところ右側にあるブーランジェリーが好きです。(パンをたっぷり食べられるモーニングが魅力的なの!)

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少しひんやりとした空気の中にはオスマンサスの香りが甘く漂っている。
講義終わりにばったり顔を合わせた牧野は、衣替えが間に合っていないのか、お気に入りだと言って夏の盛りに愛用していた半袖のブラウスの上に薄いカーディガン、更にその上に薄手のパーカーを羽織っていた。
「あたし、今日バイトないんだー!」
と清々しい笑顔で言うから、
「それならウチに遊びに来るか?
それとも何処かに出掛けるか?」
と提案してみた。
「んー、何したいかなぁ・・・
えーっとねぇ・・・、ちょっと散歩して、映画観て、ご飯!」
という3本立ての希望を出してくる。
いつも大学の授業とバイトばかりで予定が詰まっている牧野。
偶の自由時間を満喫したいのだろうと、その希望を叶える事にした。
テイクアウトしたホットのカフェラテを手にしながら広い公園を通り抜ける。
ちょっと飛び跳ねるみたいに軽やかに歩いていく牧野を追いかけた。
行き交う散歩中の犬に顔を綻ばせ、遠くで誰かがかき鳴らしている下手なギターに合わせて鼻歌を歌う。
それを見聞きしているだけで俺の頬は弛んでいった。
映画は牧野が選んだ、主人公が過去へとタイムスリップしてしまうドタバタコメディ。
俺の好みではないから、特に期待していなかったのに、観始めたらその世界に引き込まれ、2時間の上映時間はちっとも長く感じなかった。
映画館を出るとすっかり日は暮れていたが、代わりに街の灯りがこれでもかと言わんばかりに煌めいている。
まるで光の洪水だ。
夜の街の空気は思いの外冷えていて、薄着の牧野を歩かせるのを躊躇って、近くにある俺の知っている店で食事をする事にした。
「今日の映画、面白かったねー!」
テーブルの向こう側で、牧野は機嫌良さそうに顔を綻ばせてる。
料理が運ばれてくる合間に、各々映画の感想を言い合った。
「もしあの映画の主人公のように過去に戻れるとしたら、牧野ならいつの時代に戻る?」
そう聞いたら牧野はきょとんとした表情を浮かべた。
ぱちりぱちりと瞬きをし、小首を傾げて、暫し遠くを見詰めるように思案して。
「あたし、戻らない。
どの時間にも戻らないなぁ。」
と答え、ふふふっと小さな声を上げて笑った。
「今がいい。
こうしていられる今がいいの。」
「そうなのか?」
「うん。」
「ちっちゃな子供の頃とか、戻ってみたくないか?」
牧野はゆらゆらと首を横に振る。
「ううん。
それはアルバムの写真を見て懐かしむだけでいいな。
じゃあ美作さんは?
美作さんならいつに戻りたい?
4人でわちゃわちゃしてた子供時代?
中等部? それとも高等部時代?
でもさぁ、ずっと4人一緒だったんでしょ?
いつに戻っても同じ顔触れだねえ。」
俺の過去を想像しつつ楽しそうにクスクス笑って、デザートのモンブランにフォークを入れている牧野。
その『4人』の中に司が含まれている事は、牧野を切なくさせないのだろうか?と勝手に気を揉んでしまう。
「俺も今がいい。
戻りたい時間なんかないな。」
「ほーらね。
タイムマシンなんてあっても、案外使わないものなんだよ、きっと。
あれは映画の中の出来事だからさ。
未来が分かりすぎるのも怖いから、見に行きたくないし。
だってどうする?
未来に行ってみて地球が滅亡してたら?
怖いじゃない、そんなの!」
「・・・うん、そうかもな。」
そう呟いて、俺は牧野にそっと笑い掛けた。
でも胸の内には言葉には出来ない思いが湧き上がっている。
なあ、今言った事は本当なのか?
本当に戻りたいとは思わないか?
司が刺された、あの時より前に。
あの悲劇を回避出来たなら、牧野の運命は大きく変わっていた筈だ。
司は牧野を忘れる事なく、2人は今も想い合って、共に過ごしていられたかもしれない。
そうしたら俺はそんな2人を見守っていたんだろうな。
そう思ったらつい身震いしてしまった。
そんな『ifの世界』を想像する事に恐怖を覚えたから。
俺はもう、司と牧野を見守る立場には戻りたくないんだ。
司が記憶を取り戻すことを望んでいない。
牧野を秘かに想いつつ、友として手を差し伸べられるこの距離を護りたい。
いや、できる事ならば、この想いの丈を伝えて、俺だけをその瞳に映して欲しいと望んでる。
俺の気持ちになんて全く気付かない牧野は、幸せそうに紅茶とモンブランを堪能している。
今ここにタイムマシンが無いから・・・
考えても仕方ないから・・・
諦めているのかもしれないな。
本当に目の前にあったとしたら・・・
牧野はそれに飛び乗って、あの時の司を救いに行くのだろう。
想像の中だけの『ifの世界』は、起こり得ない事なのに俺を途轍もなく切なくさせた。
迎えの車を呼び寄せ、牧野を部屋へと送り届け、1人になったリアシートに身体を沈めたら、口からは大きな溜息が吐き出されていく。
片想いって・・・、こういう事か。
今までこんな思いをした事がなかった。
こんなに胸が苦しかったり、切ない気持ちに苛まれた事がない。
山程に恋愛をしてきたつもりでいたけれど、今胸を占めているこの想いを恋と呼ぶのなら、これまでの出会いと別れの数々は、恋愛にすらなっていない、それ以前の感情だったらしい。
俺は初めて本当に人を好きになった。
それは記憶を失くした男をずっと想っている人だった。
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生きてはおりますが、スランプのドツボに嵌って苦しんでおります(~_~;)
色んなお話の続きを待って下さっているんだろうに、全然違うSSをUPしちゃう事をお許し下さいー。
何とかこれを書き終えられた気がするので、久々に戻って参りました。
他のお話は・・・気長にお待ち頂ければ有り難いです、はい。
スタバでコーヒー買って代々木公園をお散歩、坂を降りてきて渋谷で映画。
お食事はセルリアンタワーのフレンチで。
そんなデートコースを頭の中で歩きつつ書いてみました。
昔渋谷で働いていたので、自分の庭気分でイメージしましたが、多分その時からは物凄ーく変わっているのだろうと思います。
渋谷って、いつでも人の波が引かない街で。
不思議なところだなぁと思いながら毎日通ってました。
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