拙宅のメインの主人公(?)、ちょっと暗めの総二郎とつくしのお話、始まります~。
お祭りコンビの片割れだとか、究極のロマンチストといった側面が全然出て来ませんので、イメージ壊れるわ!という方はご注意ください。
そしてまた季節外れな場面から始まっております。
そのうちお話がこっちの季節に追いつくといいなぁ。
_____________
<つくし 20歳直前の12月>
空っぽだ。
あたしは空っぽだ。
12月のある日の夕方。
あたしは1人で歩いていた。
大学に入って2回目の冬。
なんだか目に入る物全ての色が薄く見えて、空気がぴりっと冷えていて。
冬なんだなぁとぼんやり思う。
この季節は苦手だ。
街がクリスマス一色になって、どこに行っても楽し気な人が溢れて。
なんだか焦らされる。
年末が近いからか、クリスマスという一大イベントが来るにも関わらず、1人で歩いているからか。
寒さのせいで、知らず知らずのうちに、肩を縮こませて歩いていた。
それに気付いて、肩の力を抜こうとちょっと首を左右にコキコキと振った。
その拍子にふと空に目をやって、淡い色の夕焼けを見た時に、不意に気付いてしまった。
あたしは空っぽだということに。
自分の身体の中には気持ちを入れておく入れ物があって。
そこの中には溢れる程の色々な感情が注がれていたはずなのに。
今はその中身がすっからかんになっていた。
そんな事に急に気付いたけれど、驚いた訳でもなく、悲しい訳でもなく。
ただ淡々と、空っぽになっちゃったな…と感じた。
道明寺の記憶は戻らなかった。
そのままNYに行ってしまった。
でもいつか思い出してくれるんじゃないかって、帰って来てくれるんじゃないかって、心の何処かで思ってた。
だから道明寺と過ごした、あの高校2年の怒涛の日々を繰り返し思い出して、反芻して。
信じて待ちたいって思っていたはずなのに。
時間が経つにつれて思い出になり。
リアルな感情から、心のアルバムに貼られた、懐かしい青春の1ページに変化してしまった。
そしその密度の濃い1ページも、何度も何度も取り出して見過ぎたせいで、ボロボロに擦り切れて、色褪せたものになっている。
あいつの声も、手の温もりも、もう思い出せなくなってしまった。
「空っぽ」の次に浮かんだ事は「どうしよう?」だった。
どうしよう?
この空っぽをどうしよう?
どうしたらいいのかちっとも分からないままとぼとぼ歩いて、気が付いたらアパートに着いていた。
高校3年の時、我武者羅に勉強して、英徳の特待生になれたから、大学の授業料は免除で通える事になった。
ここで待っていたら、道明寺とまた会えるんじゃないかと思っていたから。
毎年授業料免除になる為には、学科首席かそれに近い成績が必要だったから、それこそ必死に勉強した。
幸い、パパとママには住み込みの仕事が見付かり、東京のお隣の県(と言ってもかなりの田舎)へ、進も連れて行っている。
あたしはそこから通えないから、1人でボロアパートに住んでいるけど、自分の生活費だけ稼げば暮らしていけるから、バイトは家庭教師をするだけで足りていた。
誰も道明寺の話をしなくなった。
あたしに気を使ってくれている。
何だか申し訳ない気分で、いたたまれなくなった。
週に3回の家庭教師。
あとの4日は何をしていいか分からない。
何かしていないとマイナスの感情に取り込まれそうな気がした。
だから皆の言うがままに時間を過ごした。
類とする語学レッスンは穏やかで安らげるひと時になったし、美作さんちに行けば、可愛い双子ちゃんとおば様と過ごすのは、夢の国に行ったような気持ちになれた。
西門さんにお茶のお稽古を付けてもらうと、その時だけは全ての雑念が取り払われて、静かな世界に没頭出来た。
何の用事もない日は、優紀や滋さんや桜子が声を掛けてくれて、連れ出してくれた。
あたしは皆に支えられてなんとか立っているだけ。
皆の優しさに甘えている。
そう思ったら、自分の中身が空っぽになった事は言えなかった。
誰かに話したら、また助けの手が差し伸べられて、あたしはきっとその手に縋ってしまう。
だから1人でこの「空っぽ」と向き合わなきゃ。
そう思った。

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お祭りコンビの片割れだとか、究極のロマンチストといった側面が全然出て来ませんので、イメージ壊れるわ!という方はご注意ください。
そしてまた季節外れな場面から始まっております。
そのうちお話がこっちの季節に追いつくといいなぁ。
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<つくし 20歳直前の12月>
空っぽだ。
あたしは空っぽだ。
12月のある日の夕方。
あたしは1人で歩いていた。
大学に入って2回目の冬。
なんだか目に入る物全ての色が薄く見えて、空気がぴりっと冷えていて。
冬なんだなぁとぼんやり思う。
この季節は苦手だ。
街がクリスマス一色になって、どこに行っても楽し気な人が溢れて。
なんだか焦らされる。
年末が近いからか、クリスマスという一大イベントが来るにも関わらず、1人で歩いているからか。
寒さのせいで、知らず知らずのうちに、肩を縮こませて歩いていた。
それに気付いて、肩の力を抜こうとちょっと首を左右にコキコキと振った。
その拍子にふと空に目をやって、淡い色の夕焼けを見た時に、不意に気付いてしまった。
あたしは空っぽだということに。
自分の身体の中には気持ちを入れておく入れ物があって。
そこの中には溢れる程の色々な感情が注がれていたはずなのに。
今はその中身がすっからかんになっていた。
そんな事に急に気付いたけれど、驚いた訳でもなく、悲しい訳でもなく。
ただ淡々と、空っぽになっちゃったな…と感じた。
道明寺の記憶は戻らなかった。
そのままNYに行ってしまった。
でもいつか思い出してくれるんじゃないかって、帰って来てくれるんじゃないかって、心の何処かで思ってた。
だから道明寺と過ごした、あの高校2年の怒涛の日々を繰り返し思い出して、反芻して。
信じて待ちたいって思っていたはずなのに。
時間が経つにつれて思い出になり。
リアルな感情から、心のアルバムに貼られた、懐かしい青春の1ページに変化してしまった。
そしその密度の濃い1ページも、何度も何度も取り出して見過ぎたせいで、ボロボロに擦り切れて、色褪せたものになっている。
あいつの声も、手の温もりも、もう思い出せなくなってしまった。
「空っぽ」の次に浮かんだ事は「どうしよう?」だった。
どうしよう?
この空っぽをどうしよう?
どうしたらいいのかちっとも分からないままとぼとぼ歩いて、気が付いたらアパートに着いていた。
高校3年の時、我武者羅に勉強して、英徳の特待生になれたから、大学の授業料は免除で通える事になった。
ここで待っていたら、道明寺とまた会えるんじゃないかと思っていたから。
毎年授業料免除になる為には、学科首席かそれに近い成績が必要だったから、それこそ必死に勉強した。
幸い、パパとママには住み込みの仕事が見付かり、東京のお隣の県(と言ってもかなりの田舎)へ、進も連れて行っている。
あたしはそこから通えないから、1人でボロアパートに住んでいるけど、自分の生活費だけ稼げば暮らしていけるから、バイトは家庭教師をするだけで足りていた。
誰も道明寺の話をしなくなった。
あたしに気を使ってくれている。
何だか申し訳ない気分で、いたたまれなくなった。
週に3回の家庭教師。
あとの4日は何をしていいか分からない。
何かしていないとマイナスの感情に取り込まれそうな気がした。
だから皆の言うがままに時間を過ごした。
類とする語学レッスンは穏やかで安らげるひと時になったし、美作さんちに行けば、可愛い双子ちゃんとおば様と過ごすのは、夢の国に行ったような気持ちになれた。
西門さんにお茶のお稽古を付けてもらうと、その時だけは全ての雑念が取り払われて、静かな世界に没頭出来た。
何の用事もない日は、優紀や滋さんや桜子が声を掛けてくれて、連れ出してくれた。
あたしは皆に支えられてなんとか立っているだけ。
皆の優しさに甘えている。
そう思ったら、自分の中身が空っぽになった事は言えなかった。
誰かに話したら、また助けの手が差し伸べられて、あたしはきっとその手に縋ってしまう。
だから1人でこの「空っぽ」と向き合わなきゃ。
そう思った。



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