遠くに聞こえる雷鳴は恋の知らせ 後編
牧野の握り拳は、俺の掌にすっぽり覆われてしまう小ささ。
突然の接触に驚いて、牧野は反射的にびくりと身体を跳ねさせ、その手を引こうとしたけど、俺はしっかりと捕まえた。
「え・・・ 何?」
「お前、寒いんだろ。ちょっと震えてる。」
「寒くなんかないよ。ねえ、放して・・・」
「いや、冷えてる。こんな冷たい手してるの、分かんねえの?」
実際、牧野の手はひやりと冷たい。
その手をそっと撫でたり摩ったりしているうちに、きつく握り締めていた拳からは段々と力が抜けていき、震えも止まっていった。
次第に温もりを取り戻していく小さな手。
少しかさついていて、牧野の苦労している日々の生活を表しているかのようだ。
「ね、もういいよ、西門さん。」
「そうか? 反対側の手も冷たいんだろ?
そっちも暖めてやるよ。」
「や、もうホントにいいから。」
「遠慮すんなって。何なら手だけじゃなくてカラダ全部暖めてやってもいいんだぜ。」
「ヤダっ!」
途端に身体を俺から離す為に窓際に寄り、両手で自分を抱き締めてる。
横目できっと俺を睨み付けてきた。
「ふふっ、冗談だって。
流石の俺も、牧野の鉄パン脱がすのは大変そうだし。
ここまで来たら、結婚するまで履いとくのもいいんじゃね?」
「鉄パン、鉄パン言うなーーー!」
「オイオイ、つくしちゃんの方が連呼してるぜ?」
「あー、もー、あたしをからかって遊ぶの止めてよねっ!」
2年前に時間が巻き戻ったかのような車内。
俺の知っている牧野が見られて、ちょっとほっとした。
車の外で雨が降っていることを忘れさせようと、俺はずっと牧野をからかったり、笑わせたりする話を次々と口にして・・・
やがて牧野の住むアパートの前にタクシーは止まった。
「今日はありがと、西門さん。
こんな所まで送らせちゃってごめんね。
皆に宜しく! じゃあねー!」
そう言って車を降り、小走りでアパートの外階段へ向かっていく。
カンカンカンと音を響かせ階段を上り、2階のひとつのドアに牧野が消えていくところまでを窓ガラス越しに見詰めてから、俺は車を出させた。
この夜を境に、俺は時々牧野の事を考えるようになった。
あいつは今どうしてんのかな?とか・・・
今日は雨が降ってるけど、大丈夫なのか?とか・・・
不思議と気になった。
そしてとうとう一日中雨が降り続いた日の夜、あの安普請の牧野のアパートのドアを叩くことになる。
ドアを開けた牧野が、目を丸くして言葉を失くすから、つい笑ってしまった。
「よ、つくしちゃん、元気?」
「・・・何で?」
「んー? ちょっと美味い茶菓子が余ったから。
牧野、こんなの好きそうだなって思って持ってきた。」
そう言って、目線の高さまで、手にした包みを掲げてみる。
「そんな事の為に、ここまで来たの?」
「別にいいじゃん、ダチに会いに来るのに大層な理由なんか要らねえだろ。」
眉間に皺を寄せ、ぶつくさと文句を言いながらも、俺を部屋に上げてくれた。
「突然来るから、片付いてもないけど・・・」
「だって俺、お前の電話番号知らねえんだもん。」
「花沢類に聞けばよかったじゃん。」
「ああ、そう言われればそうだな。気付かなかった。」
本当は気付かなかった訳じゃなく・・・
類に聞くのも、桜子に聞くのも何となく憚られて、唯一知っているこのアパートへと来てしまったんだ。
片付いてないと言ったけど、さして物もない部屋の中は綺麗に整っていた。
「適当に座ってて。今お茶淹れるから。
って言っても、西門さんの口に合うかどうか。
スーパーで売ってるような緑茶だよ。」
「ああ、煎茶も持って来たんだ。
俺が淹れてやろうか?」
「えー、いいのー?
凄いね、西門流次期家元の淹れるお茶なんて、そうそう飲めないよね。」
そう言って、やっと明るい顔になった牧野。
今夜、ここに来たのは間違いじゃなかったのかも・・・と思えた。
小さな卓袱台を囲んで2人で座って、茶菓子を食べて、茶を飲んで、他愛ない事を話す。
目の前にいる牧野は、雨の夜だけど震えてはいない。
身体のどこかに余計な力が入っていたけれど、ほっとして、それがすうっと抜けていった。
雨の夜、独りで震えていないか気になった。
そんな夜は牧野に電話をした。
時には食事に誘って。
またある時は部屋まで手土産を持って押しかけて。
会って、顔を見て、話をすれば、心配が少し消える。
俺と別れた後、独りになったら雨に気持ちが負けてしまうのかもしれないけれど。
雨が止むまで一緒に過ごすなんて出来やしないから、日付が変わる前にお休みを言って別れるのが暗黙のルールみたいになった。
いつもは雨の日に俺から連絡を入れるのに、珍しく牧野から電話があった。
今日は雨だって降っていない。
何かあったのかと一瞬焦ったけれど、のんびりした声が告げたのは
「あたし今日バイトないの。
西門さん、暇ならご飯食べに来ない?
いつもの細やかなお礼に貧乏食作るからさ。」
という、律儀な牧野らしい申し出だった。
アパートを訪ねてみれば、いつもの小さな卓袱台の上に牧野の心尽くしの料理が並んでいる。
見たことも食べたこともない不思議な品もあったけど、それを試してみるのもまた一興。
家族の団欒なんて知らない俺だけど。
いつか結婚したって温かな家庭なんて望めないだろうけど。
もし俺が西門総二郎ではなくて、牧野みたいな一般の家庭に生まれていて、好きになった女と一緒になれて。
2人で食卓を囲む事があったとしたら、こんな感じなんだろうか?
そんなありえない夢みたいなことを思わせる食事だった。
食後に牧野が淹れてくれたコーヒーを飲んだ。
俺はブラックで、牧野は牛乳をたっぷり入れたカフェオレで。
更に牧野は俺が持って来たフルーツタルトに齧り付く。
「ねえ、ホントに西門さんは食べないの?」
「ああ、もう腹一杯。
つくしちゃんの料理が美味かったから食い過ぎたわ。
コーヒーだけで十分。」
「お世辞言ったって、これ以上何も出ないのに。」
「別にお世辞じゃねえよ。ホントに美味かったよ、つくしちゃんの愛情たっぷり手料理。」
「感謝の念が詰まった料理の間違いでしょ!」
ぷりぷりしながら、タルトを口に運んでる牧野を見ていると、自然と顔が緩んでいたらしい。
「ニヤニヤしないで!」との言葉まで飛んでくる。
雨が降ってる時は、なるべく夜遅くまで一緒にいる様にしていたけれど。
今夜は雨が降っていないから、人心地着いたところで帰ろうかと、傍らに置いていたジャケットに手を伸ばした。
「あ、これ、雷の音?」
安普請の牧野の部屋は、外の音がよく聞こえてくる。
「ああ、そうかも。春雷ってやつか。
この後、一雨くるのかもな。」
雨が降るのか・・・?
スマホでこの後の天気を確認していると、牧野がぽつりと呟いた。
「雨、降ったらいいのに。」
「何でだよ。お前、雨嫌いじゃねえか。」
「だって・・・ 雨が降ったら、西門さんはもう少しここにいてくれるでしょ。」
その言葉にはっとする。
雨。
司との別れを思い出させる雨。
それが俺との時間を過ごすきっかけに変わってる・・・?
牧野にとって雨が新しい意味を持つようになってるなんて。
胸の中が熱くなる。
こちらを探る様な目で見つめてくる牧野に、微笑みながら答えた。
「雨なんか降らなくたって、俺はここにいる。
牧野が望むだけ。」
新しい何かが始まる予感に、心臓が鳴っている。
牧野が泣き笑いみたいな顔になったから・・・
そっと近付いて、その顔を俺の胸に引き寄せた。
__________
1周年の時と同様に、恋の和歌から題材を頂きました。
鳴る神の 少し響<とよ>みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ
「雷がちょっと鳴ってるのが聞こえるね。
空は曇っているし雨も降らないかな・・・
そうしたら貴方をここに引き留められるのに。」
【返歌】
鳴る神の 少し響<とよ>みて 降らずとも 我<わ>は留まらむ 妹<いも>し留めば
「ああ、雷が少し鳴ってるな。
雨なんか降らなくたって俺はここにいる。
お前が俺にいて欲しいって言うんならな。」
出典は万葉集の巻十一、柿本人麻呂歌集から。
両方とも詠み人知らずの歌です。
勝手に総つく風に現代語訳を考えてみました。

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突然の接触に驚いて、牧野は反射的にびくりと身体を跳ねさせ、その手を引こうとしたけど、俺はしっかりと捕まえた。
「え・・・ 何?」
「お前、寒いんだろ。ちょっと震えてる。」
「寒くなんかないよ。ねえ、放して・・・」
「いや、冷えてる。こんな冷たい手してるの、分かんねえの?」
実際、牧野の手はひやりと冷たい。
その手をそっと撫でたり摩ったりしているうちに、きつく握り締めていた拳からは段々と力が抜けていき、震えも止まっていった。
次第に温もりを取り戻していく小さな手。
少しかさついていて、牧野の苦労している日々の生活を表しているかのようだ。
「ね、もういいよ、西門さん。」
「そうか? 反対側の手も冷たいんだろ?
そっちも暖めてやるよ。」
「や、もうホントにいいから。」
「遠慮すんなって。何なら手だけじゃなくてカラダ全部暖めてやってもいいんだぜ。」
「ヤダっ!」
途端に身体を俺から離す為に窓際に寄り、両手で自分を抱き締めてる。
横目できっと俺を睨み付けてきた。
「ふふっ、冗談だって。
流石の俺も、牧野の鉄パン脱がすのは大変そうだし。
ここまで来たら、結婚するまで履いとくのもいいんじゃね?」
「鉄パン、鉄パン言うなーーー!」
「オイオイ、つくしちゃんの方が連呼してるぜ?」
「あー、もー、あたしをからかって遊ぶの止めてよねっ!」
2年前に時間が巻き戻ったかのような車内。
俺の知っている牧野が見られて、ちょっとほっとした。
車の外で雨が降っていることを忘れさせようと、俺はずっと牧野をからかったり、笑わせたりする話を次々と口にして・・・
やがて牧野の住むアパートの前にタクシーは止まった。
「今日はありがと、西門さん。
こんな所まで送らせちゃってごめんね。
皆に宜しく! じゃあねー!」
そう言って車を降り、小走りでアパートの外階段へ向かっていく。
カンカンカンと音を響かせ階段を上り、2階のひとつのドアに牧野が消えていくところまでを窓ガラス越しに見詰めてから、俺は車を出させた。
この夜を境に、俺は時々牧野の事を考えるようになった。
あいつは今どうしてんのかな?とか・・・
今日は雨が降ってるけど、大丈夫なのか?とか・・・
不思議と気になった。
そしてとうとう一日中雨が降り続いた日の夜、あの安普請の牧野のアパートのドアを叩くことになる。
ドアを開けた牧野が、目を丸くして言葉を失くすから、つい笑ってしまった。
「よ、つくしちゃん、元気?」
「・・・何で?」
「んー? ちょっと美味い茶菓子が余ったから。
牧野、こんなの好きそうだなって思って持ってきた。」
そう言って、目線の高さまで、手にした包みを掲げてみる。
「そんな事の為に、ここまで来たの?」
「別にいいじゃん、ダチに会いに来るのに大層な理由なんか要らねえだろ。」
眉間に皺を寄せ、ぶつくさと文句を言いながらも、俺を部屋に上げてくれた。
「突然来るから、片付いてもないけど・・・」
「だって俺、お前の電話番号知らねえんだもん。」
「花沢類に聞けばよかったじゃん。」
「ああ、そう言われればそうだな。気付かなかった。」
本当は気付かなかった訳じゃなく・・・
類に聞くのも、桜子に聞くのも何となく憚られて、唯一知っているこのアパートへと来てしまったんだ。
片付いてないと言ったけど、さして物もない部屋の中は綺麗に整っていた。
「適当に座ってて。今お茶淹れるから。
って言っても、西門さんの口に合うかどうか。
スーパーで売ってるような緑茶だよ。」
「ああ、煎茶も持って来たんだ。
俺が淹れてやろうか?」
「えー、いいのー?
凄いね、西門流次期家元の淹れるお茶なんて、そうそう飲めないよね。」
そう言って、やっと明るい顔になった牧野。
今夜、ここに来たのは間違いじゃなかったのかも・・・と思えた。
小さな卓袱台を囲んで2人で座って、茶菓子を食べて、茶を飲んで、他愛ない事を話す。
目の前にいる牧野は、雨の夜だけど震えてはいない。
身体のどこかに余計な力が入っていたけれど、ほっとして、それがすうっと抜けていった。
雨の夜、独りで震えていないか気になった。
そんな夜は牧野に電話をした。
時には食事に誘って。
またある時は部屋まで手土産を持って押しかけて。
会って、顔を見て、話をすれば、心配が少し消える。
俺と別れた後、独りになったら雨に気持ちが負けてしまうのかもしれないけれど。
雨が止むまで一緒に過ごすなんて出来やしないから、日付が変わる前にお休みを言って別れるのが暗黙のルールみたいになった。
いつもは雨の日に俺から連絡を入れるのに、珍しく牧野から電話があった。
今日は雨だって降っていない。
何かあったのかと一瞬焦ったけれど、のんびりした声が告げたのは
「あたし今日バイトないの。
西門さん、暇ならご飯食べに来ない?
いつもの細やかなお礼に貧乏食作るからさ。」
という、律儀な牧野らしい申し出だった。
アパートを訪ねてみれば、いつもの小さな卓袱台の上に牧野の心尽くしの料理が並んでいる。
見たことも食べたこともない不思議な品もあったけど、それを試してみるのもまた一興。
家族の団欒なんて知らない俺だけど。
いつか結婚したって温かな家庭なんて望めないだろうけど。
もし俺が西門総二郎ではなくて、牧野みたいな一般の家庭に生まれていて、好きになった女と一緒になれて。
2人で食卓を囲む事があったとしたら、こんな感じなんだろうか?
そんなありえない夢みたいなことを思わせる食事だった。
食後に牧野が淹れてくれたコーヒーを飲んだ。
俺はブラックで、牧野は牛乳をたっぷり入れたカフェオレで。
更に牧野は俺が持って来たフルーツタルトに齧り付く。
「ねえ、ホントに西門さんは食べないの?」
「ああ、もう腹一杯。
つくしちゃんの料理が美味かったから食い過ぎたわ。
コーヒーだけで十分。」
「お世辞言ったって、これ以上何も出ないのに。」
「別にお世辞じゃねえよ。ホントに美味かったよ、つくしちゃんの愛情たっぷり手料理。」
「感謝の念が詰まった料理の間違いでしょ!」
ぷりぷりしながら、タルトを口に運んでる牧野を見ていると、自然と顔が緩んでいたらしい。
「ニヤニヤしないで!」との言葉まで飛んでくる。
雨が降ってる時は、なるべく夜遅くまで一緒にいる様にしていたけれど。
今夜は雨が降っていないから、人心地着いたところで帰ろうかと、傍らに置いていたジャケットに手を伸ばした。
「あ、これ、雷の音?」
安普請の牧野の部屋は、外の音がよく聞こえてくる。
「ああ、そうかも。春雷ってやつか。
この後、一雨くるのかもな。」
雨が降るのか・・・?
スマホでこの後の天気を確認していると、牧野がぽつりと呟いた。
「雨、降ったらいいのに。」
「何でだよ。お前、雨嫌いじゃねえか。」
「だって・・・ 雨が降ったら、西門さんはもう少しここにいてくれるでしょ。」
その言葉にはっとする。
雨。
司との別れを思い出させる雨。
それが俺との時間を過ごすきっかけに変わってる・・・?
牧野にとって雨が新しい意味を持つようになってるなんて。
胸の中が熱くなる。
こちらを探る様な目で見つめてくる牧野に、微笑みながら答えた。
「雨なんか降らなくたって、俺はここにいる。
牧野が望むだけ。」
新しい何かが始まる予感に、心臓が鳴っている。
牧野が泣き笑いみたいな顔になったから・・・
そっと近付いて、その顔を俺の胸に引き寄せた。
__________
1周年の時と同様に、恋の和歌から題材を頂きました。
鳴る神の 少し響<とよ>みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ
「雷がちょっと鳴ってるのが聞こえるね。
空は曇っているし雨も降らないかな・・・
そうしたら貴方をここに引き留められるのに。」
【返歌】
鳴る神の 少し響<とよ>みて 降らずとも 我<わ>は留まらむ 妹<いも>し留めば
「ああ、雷が少し鳴ってるな。
雨なんか降らなくたって俺はここにいる。
お前が俺にいて欲しいって言うんならな。」
出典は万葉集の巻十一、柿本人麻呂歌集から。
両方とも詠み人知らずの歌です。
勝手に総つく風に現代語訳を考えてみました。



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